タモリの若い頃がかっこいい!昔の芸風、学歴や大学・素顔についても調べてみた!

長い間、「お昼休みの番組」であったフジテレビ系列の「森田一義アワー 笑っていいとも!」のメインMCを務め、いまはテレビ朝日系列の「タモリ倶楽部」「ミュージックステーション」NHKの「ブラタモリ」に出演しているタモリさん。

タモリさんの若い頃の顔や芸風、学歴などタモリさんの素顔を紹介します。

 

タモリの若い頃の画像まとめ!昔の芸風はどんな感じだったの?

タモリ、こと森田一義さんは戦後1週間の1945年8月22日に福岡市で生まれます。

芸能界のデビューは1976年4月、東京12チャンネル(現在のテレビ東京)の深夜番組「空飛ぶモンティパイソン」です。

デビューは30歳という遅い年齢でした。

当時はイグアナのモノマネをしたり、

「ハナモゲラ語」というデタラメな言語を話すという芸があります。

芸能界のデビューのきっかけは、大学在籍中にモダンジャズ研究会に所属し、トランペットを吹いていました。

福岡で生活しつつ、月1で上京して素人芸人として即興芸をしていたときに、噂をききつけた赤塚不二夫が自らの番組に出演させたことが芸能界入りのきっかけとなっています。

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タモリの学歴をチェック!福岡県立筑紫丘高等学校→早稲田大学第二文学部西洋哲学専修除籍だった!

タモリさんは福岡県の「中洲産業大学」を卒業しています。

というのは、タモリさんの若い頃の芸のひとつで、架空の中洲産業大学を卒業して中洲産業大学の「タモリ教授」として、でたらめな講義をするというネタでした。

タモリさんは福岡市立西高宮小学校、福岡市立高宮中学校から福岡県立筑紫丘高校に進学しています。

筑紫丘高校は偏差値70の進学校で、タモリさんは剣道部と吹奏楽部に入部しています。

浪人して、早稲田大学第二文学部西洋哲学専攻に進学します。

ここでジャズ研究会に所属し、ジャズに魅了されたタモリさんは学費として仕送りされたお金を旅行や遠征の費用に使ってしまい、学費未納で除籍となってしまいます。

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除籍になったことを知った両親はタモリさんを福岡に連れ戻し、保険外交員としてサラリーマン生活をはじめは送ることになります。

 

タモリの素顔が気になる!サングラスをしている理由は失明してるから!?

小学校4年生の時に遠足で友人と遊んでいた時に電柱のワイヤに右目が刺さってしまうという大怪我をしてしまい、失明してしまいました。

デビュー当時はサングラスではなく、眼帯をしていた時期もあります。

しかし、スタッフさんに特徴がつかないと指摘されサングラスを着用するようになったそうです。

最近ではサングラスをしたアーティストが多いので、トレードマークとして、サングラスをかけているのかと思いましたが、タモリさんは失明していたんですね。

 

芸能界の大御所タモリの名言

「今はね、友達を作ろう作ろうって言い過ぎるよ。友達なんかいなくていいんだよ。」

いつも一緒にいる友達なんかではなく本当に困った時に助けてくれる人がいればいい…。ということのようですが、芸能界でもあまり友達というのは多そうではないですね。

「真剣にやれよ!仕事じゃねぇんだぞ!」

人を笑わせる商売だからかもしれませんが、仕事だからって真剣に取り組んじゃう人のことを、タモリさんは「暑苦しい人」と呼んでいます。

面白いことだからやるというタモリさんのポリシーから来た名言かもしれません。

「ストレスはね、発散することはできません。溜まる一方だからストレスを忘れるしかない…。」

実際タモリさんは真面目そうなので、本当にそうなのか、わかりませんが、気を楽にして生活しようということかもしれません。

タモリさんの若い頃の顔や芸風、学歴などタモリさんの素顔を紹介してきました。

毎日規則正しい生活を強いられていた「笑っていいとも」が終了してしまったあと、テレビ界の大御所として、改めてテレビ番組を楽しんでいるように見えるタモリさん。

名言にもあるようにタモリ風の生き方で、ますますテレビを盛り上げてくれそうです。

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