たけし、タモリ、さんまのお笑いBIG3とも言われ、63歳になった今でもお笑い界では第一人者として存在する明石家さんまさん。
明石家さんまさんの若い頃、両親や生い立ちについて、そしてほとんど知られていない兄弟について調べてみました。
目次
明石家さんまの若い頃はイケメンだった!【画像あり】
高校3年生の時に2代目の笑福亭松之助さんに弟子入りし、初めは落語家として活動していた明石家さんまさん。
初めは落語の道を目指していたさんまさんを師匠の松之助さんは漫談や司会者として活動することに決めます。
若い頃はお笑いの世界の人には珍しいくらいのイケメンです。
大阪のテレビ局で活躍していたさんまさんですが、そんなさんまさんを有名にしたのはビートたけしさんと出演していた「オレたちひょうきん族」です。
この「ひょうきん族」で「アミダババア」や「パーデンネン」といったキャラクターで一躍お笑い界のトップへと登りつめます。
お笑いの世界だけでなく、イケメンルックスの持ち主ということもあり、1986年7月にスタートした「男女7人夏物語」では池上季実子さん、賀来千香子さん、奥田瑛二さん、片岡鶴太郎さん、小川みどりさん、そして大竹しのぶさんと共演します。
1987年にはその続編として「男女7人秋物語」で明石家さんまさんは大竹しのぶさんと主役を演じ、岩崎宏美さん、片岡鶴太郎さん、山下真治さん、手塚理美さん、岡安由美子さんとの7人で大ヒットドラマとなります。
このドラマをきっかけに大竹しのぶさんと結婚したことは有名です。
明石家さんまの生い立ちは壮絶だった!?
1955年に和歌山県で生を受けたさんまさんは、お笑い界で第一人者になっている今では考えられないほど壮絶な生い立ちでした。
3歳で母親とは死別。父親が再婚し継母がやってくるもかわいがられなかった
お兄さんと二人兄弟だった明石家さんまさん、3歳とまだ幼い時期に母親を病気で亡くしました。
そして小学生の高学年になった時期に父親が再婚しますが、この継母となる人には幼い男の子の連れ子がいたそうです。
当時、お兄さんしか兄弟がいなかったさんまさんは「年の離れた弟ができたぞ!」と大喜びだったそうです。
しかし、継母はさんまさんに対して遠慮がちで、実の子供のことばかり可愛がっていたらしく、なかなか継母といい関係になれなかったそうです。
最愛の弟が19歳で死亡。弟の死に対するさんまのコメントが悲痛すぎる…
「(弟は)ぼくのことを、昔から、すごく尊敬してくれるやつでね。
ぼくがいうことは、(弟は)すべて正しいと思っていたみたいですよ。
(弟は)自分にも、それから他人にも、素直に自分をさらけだせるやつでしたね。
スポンサーリンクぼくもサッカーやったけど、チビ(弟)のほうがすごいんですよ。」
「(弟は)サッカー部のキャプテンで、インターハイにも出たし、国体選手にも選ばれたしねえ……。
去年の10月、大阪のぼくのマンションに(弟が)遊びにきた時、今度のワールド・カップを(明石家さんまと弟の)ふたりで一緒に見に行こう。
キップはぼくが買っとくからって、約束しとったのに……。
まだ納得できません。あのチビ(弟)が死んだなんて……」
本当の弟のように可愛がっていたさんまさん。
あまりにも早い死にさんまさん自身も衝撃的すぎたようです。
当時の週刊誌には弟さんの死は昇進自殺だったと書かれたりしたそうで、さんまさんをさらに苦しめたようです。
登場予定だった飛行機が『日本航空JAL123便墜落事故』を起こす
1985年8月12日に御巣鷹山に墜落した「日航機123便墜落事故」。
ボーイング社の不適切な修理が原因で524名中520人が死亡してしまうという日本の航空機史上最悪の事故となってしまいますが、この便に明石家さんまさんが乗る予定でした。
当日、東京で「オレたちひょうきん族」の収録後、この便で大阪へ移動し、大阪の「ヤングタウン」いう番組に出演予定であったが、たまたま「オレたちひょうきん族」の収録が予定よりも早く終わったために、123便をキャンセルして、ひとつ前の便で大阪に向かったため事故を逃れたそうです。
明石家さんまさんがテレビ番組などでよく言う「生きてるだけで丸儲け」という言葉はこの事故のこともあって、心の底から言っている言葉だそうです。
継母の現在が気になる!消息不明との説も?
明石家さんまさんの継母のその後については、一般の方ということもあり、わかりませんでした。
「45年もこの世界でできるとは思ってなかった。
2、3年であきられると思っていた」と語った。
続けて、「父も祖父も78で死んでる。オレも78やと思ってる。あと15年」と寿命についての考えを述べた。
とさんまさんが発言している通り、お父さんも78歳で他界してしまっています。
弟さんも亡くしていますから、継母とのつきあいはもうないのかもしれません。
兄の正樹は現在、奈良でカラオケ&ダーツバー「カラオケさんま」を経営!
さんまさんの兄は68歳になりますが、奈良市で「カラオケさんま」を営んでいます。
2010年の関西テレビ「さんま・清の夢競馬2010」で有馬記念の予想をしていたときに、菊花賞の関西テレビの映像に偶然お兄さんが映り込むというハプニングもありました。
明石家さんまさんの若い頃、両親や兄弟、生い立ちについて紹介しました。
最近ではさんまさんの芸能界、お笑い界の引退についてご自身の発言が話題になったり、まわりの人のコメントが話題になったりしていますが、まだまだテレビの中では笑いの第一線を走っています。