俳優の藤原竜也さんの若い頃に注目。
藤原竜也さんの若い頃のエピソードをご紹介します!
藤原竜也の若い頃について
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藤原竜也さんと言えば舞台もテレビドラマも映画もこなせる実力派俳優。
デビューは蜷川幸雄さん演出の舞台「身毒丸」でした。
当時藤原竜也さんは15歳。
それはセンセーショナルなデビューでした。
「天才新人現る」と絶賛されたほどです。
その後も次々にヒット作品に出演されてきました。
デビューから現在まで常に第一線で活躍している藤原竜也さんの若い頃を振り返ってみましょう。
藤原竜也の若い頃の画像
それでは藤原竜也さんの若い頃の画像をご覧ください。
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性格は男の中の男という感じですが、若い頃はどこか中性的なイメージもありますね。
「カワイイ」という表現は当てはまらないですが、何故か「キレイ」と表現してしまいます。
藤原竜也の若い頃の活躍
先ほども少し触れましたが藤原竜也さんは1997年、蜷川幸雄さん演出の舞台「身毒丸」の主役オーディションでグランプリを受賞しデビューしました。
蜷川幸雄さんと言えばとても厳しい方で、灰皿が飛んでくるという逸話もあった方です。
デビュー作で蜷川幸雄さんに鍛えられた藤原竜也さんは、やはり俳優として一歩置かれる存在だったと思います。
2000年には映画「バトル・ロワイアル」の主演に選ばれスクリーンデビュー。
2001年には連続ドラマ「新・星の金貨」で初主演を務めました。
2003年には舞台「ハムレット」で日本演劇史上最年少21歳でタイトル・ロールを演じ、主な演技賞を総なめしました。
とにかくデビュー当時から常に主役級扱いで別格だったのです。
藤原竜也さん自身もそのことでプレッシャーもあったと思いますが、やはり天性のものを持った天才俳優です。
藤原竜也は昔ヤンキーだった
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意外なのか妥当なのか、藤原竜也さんが学生時代ヤンキーだったそうで、「秩父の悪魔ヤンキー」という異名を持っていました。
当時の口癖は「上等だよ」。
しっかりヤンキーやっていたようです。
時代的にもヤンキーがモテる時代ですから、あのビジュアルでヤンキーというギャップもありモテモテだったでしょうね。
そして秩父の悪魔ヤンキーがスカウトされた場所ですが、これもヤンキーだったからこその場所でした。
カラーギャング同士の抗争がある!という話しが藤原竜也さんの学校で話題になり、みんなで見に行こう!ということになったのです。
電車で2時間かけて見に行ったその場所で藤原竜也さんはスカウトされました。
これも運命だったのでしょう。
藤原竜也の高校中退の理由がやばい
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藤原竜也さんは何と高校生になり4日で高校中退をしたそうです。
それは何の脈略もなくというわけではなく、しっかり理由がありました。
ある日、唐十郎さんと蜷川幸雄さんが舞台について熱弁している様子を見ていた藤原竜也さん。
そこで自分の学ぶべき場所は高校ではなく稽古場だと感じたのです。
若干15歳でここまで深く考えられるとは。
けでも結果的に舞台でもドラマでも映画でも大成したのですから、この時の判断は決して間違っていなかったことになります。
藤原竜也の昔のエピソード
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蜷川幸雄さんにオーディションで見出され鍛えられた藤原竜也さん。
そんな藤原竜也さんは交友関係も広いようで、俳優仲間がたくさんいらっしゃいます。
特に小栗旬さんとは仲良しで、14歳の頃からのお付き合いになるとか。
二人で芝居の話しを熱く語り過ぎて大げんかに発展したこともあるそうです。
そして、歌舞伎俳優の中村勘九郎さんを尊敬しているそうです。
蜷川幸雄さんとのエピソードは多く、以前、三島由紀夫の作品で火の粉を浴びて戦争の火を一人の青年が受け止めるシーンがありました。
蜷川さんからは「性的興奮にまで変化するくらい美しく表現しなければいけない」と言われ、藤原さんは蜷川さんから火のついた木を押し付けられたことがありました。
そこまでリアルな指導を受けていたからこその完成度の高さなのだと思います。
蜷川さんはお芝居が気に入らないと一切口をきいてくれない人だったそうです。
一度藤原さんはアテネまで蜷川さんに謝りに行ったことがありましたが、その時蜷川さんは一言もしゃべってくれなかったのです。
当時を振り返って藤原竜也さんは「若い頃は自分やお客様のためではなく、蜷川さんからの『良かったよ』という一言をもらうために演劇をやっていたのかもしれない」と語っていました。