NHK連続テレビ小説「あさが来た」の五代さん役から日本で大人気になったディーンフジオカさん。
香港のクラブでスカウトされ、香港でモデル活動したり、その後台湾でドラマデビューしたりということから謎多き俳優さんですが、ディーンフジオカさんの若い頃について調べてみました。
目次
ディーンフジオカの若い頃(昔)の画像が見てみたい!
ディーンフジオカさんは1980年8月19日に福島県須賀川市で生まれます。
高校は千葉県立船橋高校を卒業しています。
香港や台湾での活躍が先なので、海外生まれかと思いましたが、日本生まれ。
しかも高校は偏差値70とも言われる名門進学校です。
名前がディーンなので、ハーフかと思いますが、父も母も日本人です。
「週に5日6日とかクラブ毎日行って、日によっては3軒4軒ハシゴとかしてたんで昔は」「でもそういう経験があったから、今音楽作ってすごい活きてるなと思いますね」
若い頃はタトゥーを入れていてCM出演できなかった時期があるってマジ!?
ディーン・フジオカさんはすっきりした顔のイケメンで、タトゥーを入れているようにはみえませんが、ディーン・フジオカ主演のテレビドラマ「モンテ・クリスト伯 ─華麗なる復讐─」で山本美月さんと共演したときのニュースには、
「今回、山本は、ディーン演じる主人公の婚約者役として登場します。
3月20日発売の『週刊女性』では撮影現場の様子を伝えているのですが、誌面にディーンと山本がカメラの回っていない場所で抱き合う写真を掲載しています。
どうやら演技に熱心なディーンは、本番の抱き合うシーンをリハーサルの段階から本気モードでやっていたそうです」(テレビ誌記者)
とラブシーンもありか?と期待させるほど主役として気合いの入ったドラマでした。
「3月29日発売の『週刊新潮』によると、ディーン側からフジに、肌見せのシーンはNGとの注文が入ったそうです。
なぜなら彼の右腕にはタトゥーが入っており、それを見せたくないというのが理由とのこと。
なので、山本とのベッドシーンは期待できないでしょう。
やはりまだ日本ではタトゥーの印象が良くないため、隠したいようです。
2016年に放送された深田恭子主演『ダメな私に恋してください』(TBS系)でも、服を脱ぐ直前で、結局は脱がないというシーンがあり、女性ファンを落胆させています」(前出・テレビ誌記者)
とディーンさんの事務所から肌見せはNGというお達しがあったそうです。
ディーンフジオカさんは日本生まれの日本人で日本でも大人気になりますが、奥様や家族は日本にはいません。
インドネシア人の妻と2人の子供はバリ島で暮らしており、ディーンにとっての拠点は、あくまでもバリ島だ。
芸能ジャーナリストは「ディーンにとって日本は、仕事場の1つでしかない」と言って、こう続ける。
「人気が出るにつれ、彼のタトゥーが問題視され始めました。
実際、これほどブレイクしているのに1本もCM出演がないのは、そのタトゥーが影響しているかもしれません。
また、日本の慣習を批判すれば、『ここは日本なんだよ!』と叩かれる。
スポンサーリンクこうなると、日本生まれの日本人ではあるけれど、ずっと海外で活動してきたディーンにとっては、日本の芸能界は窮屈と感じるかもしれません」
と記者たちも日本での活動は世界の舞台の1つで日本に拠点をどっしり移して、活動しないのではないかと言われています。
CMについては当初はありませんでしたが、
「女性層からの圧倒的な支持で好感度バツグンとあって、保険会社に飲料メーカー、食品企業など7社とのCM契約がまたたくまに決まりました。
朝ドラの視聴者はファミリー層も多く、当たればCMは決まりやすい。
それでも7本は異例です」
とよく見かけるほどです。
タトゥーも日本でも許されるような風潮になってきてはいますから、裸解禁もまもなくかもしれません。
ディーンフジオカの本名は藤岡竜雄。なぜ芸名は“ディーン”なのか?その由来とは…
ディーンフジオカさんはハーフでも外国人でもありませんが、芸名がディーンというのはなぜなのでしょうか。
「日本で無名のモデル活動をしていた頃は石田純一らが所属する事務所に所属していましたが、泣かず飛ばずだった。
英語や中国語が話せた彼は活動の場を世界に求めて、留学生としてアメリカに渡り、06年に台湾デビューを果たした。
現地では、高視聴率のドラマや話題の映画に出演しています。
ディーンの本名は『藤岡竜雄』ですが、香港ではイングリッシュネームがないと活動に支障があり、そこで生まれたのが『ディーン』でした。
ホームステイ先でそう呼ばれていたのが由来だそうです」
香港や台湾ではイングリシュネームをもつ人が多いですが、ディーンフジオカさんもそういう理由でディーンという芸名にしたそうです。
ちなみに中国語名では藤岡靛(ディエン)というようです。
藤岡も中国語ではFUJIOKAとは読まないのでしょうが。
妹は元チェキッ娘の藤岡麻美
ディーンフジオカさんには妹がいて、その妹は1998年10月から1999年11月まで活動していたチェキッ娘の藤岡麻美さんです。
16年を駆け抜けたディーンだが、その名前が全国に轟いたのは35歳。遅咲きの苦労人でもある。
若手イケメン俳優の登竜門となっている「ジュノンボーイコンテスト」の最終選考まで残るも賞の獲得はならず、ブレイクには至らなかった。
ちなみに、ディーンをコンテストに応募したのは、妹で元アイドルの藤岡麻美(34)だった。
98年にアイドルグループ「チェキッ娘」としてデビューし、解散後はシンガー・ソングライターに転身。
13年に台湾に渡り、16年に台湾在住の日本人男性と結婚している。
と実は妹の藤岡麻美さんが兄のディーンさんを芸能界に送り出したきっかけの人でした。
ディーンフジオカさんの若い頃、そして数々のエピソードについて紹介しました。
ディーンフジオカさんは2012年に結婚しています。奥様の母国であるインドネシアのバリ島で式を挙げ、2年後には男女の双子をそして2017年3月には第3子が生まれています。
別居生活をしながらも家族を大事にするディーンさん。イケメン役が多いディーンさんですが、これからもっといろいろな役回りを期待できそうです。