今回は歌手・伍代夏子さんの若い頃についてみていきましょう。
伍代夏子さんの若い頃も綺麗なことが分かる画像や、ヒット曲やブレイク曲を紹介したいと思います。
伍代夏子の若い頃も綺麗!
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演歌歌手として有名な伍代夏子さん。
改名を重ねてもなかなか売れない苦しい下積み時代を過ごしていましたが、伍代夏子で再デビューすると大ヒットを記録し、人気歌手となっています。
その後も、「金木犀」「鳴門海峡」「ひとり酒」など次々とヒット曲を連発されています。
そんな伍代夏子さんは、「C型肝炎」が判明してから5年後の1999年、演歌歌手・杉良太郎さんと結婚しています。
伍代夏子さんが踊りの師匠から杉さんの公演を見に行くことを勧められ、杉さんの楽屋に差し入れを持っていったことがきっかけだったそうですが、その時杉さんから、次の公演があることも伝えられ、わかりました。
では、必ず観に伺います。 勉強させて頂きます。と答えてしまった伍代さんは、次の公演にも行くことに。
スポンサーリンクそしてさらに次の公演もと、 結局年に3回ある公演を全て観に行かれたそうで、3回目に会われた時電話番号を交換され、それから1ヶ月間毎日電話をするようになり、その1ヶ月の間で結婚することが決まったのだとか。
そんなドラマティックな馴れ初めをお持ちの伍代夏子さんですが、若い頃は今以上に美しかったようです。
年齢を重ねた現在も大変美しいですが、若い頃の画像をみるとさらに美しいことが分かりますね!
「星ひろみ」としてデビューするも鳴かず飛ばず
伍代夏子さんは魚屋の娘として生まれ、実家は代々木八幡の井ノ頭通りの水道道路商店街で魚屋を営んでいたそうです。
幼い頃から、歌うこと(特に演歌)が大好きで、周囲からも歌手になることを期待されて育ちました。
1982年、20歳の時に「星ひろみ」として、「恋の家なき子」をリリースしデビューします。
地方の建築現場、キャバレーなど様々な場所にキャンペーンで向かいましたが、まったく売れなかったそうです。
1985年には「加川有希」、1986年には「中川輝美」(本名)と改名を繰り返しますがなかなか売れず、OLとして働いていた時期もありました。
「戻り川」でブレイク!
下積み時代を過ごしながらレコードを手売りするなど地道に歌手活動を続けていった伍代夏子さん。
1987年、25歳の時にソニーレコードから「伍代夏子」として「戻り川」で再デビューを果たします。
するとこの歌が35万枚を越す大ヒットを記録します。
ちなみにこの芸名は、憧れであった五木ひろしさんと八代亜紀さんから名付けたそうです。
翌年1988年には「第21回日本有線大賞」「第21回全日本有線放送大賞」の、 最優秀新人賞を同時受賞するといった記録をうちたてました!
伍代夏子のヒット曲は?
1990年には4枚目のシングル「忍ぶ雨」で、NHK紅白歌合戦に初出場します。
それから2016年まで通算22回の出場を果たし、名実ともに人気演歌歌手となりました。
また、伍代夏子さんは音楽活動以外にも、2015年には初の自伝となる「人生めぐり愛~いまがいちばん幸せ~」を出版し、着物展示会を開催したりと様々な分野で活動しています。
伍代夏子さんのヒット曲で他に有名なのは、「金木犀」「鳴門海峡」「ひとり酒」あたりですね!
そんな伍代夏子さんですが、2010年に「C型肝炎」を患っていることを公表し大きな反響を呼びました。
病気が判明したのは伍代さんが32歳の時(1994年)で、初めての座長公演を控え念のためにと都内の病院で健康診断を受けられたところ、肝機能に異常が見つかったそうです。
(感染経路として、主に輸血などが上げられるそうですが、伍代さんには心当たりがなく、小学校の予防注射が原因ではないかと思われているとのこと。)
そして肝心の治療ですが、副作用が強くそのうえ完治できる保証がないことから、経過観察となるのですが、2009年よりインターフェロン投与による治療を行うことを決意。
「仕事は休まない」と決めていた伍代さんですが、副作用は想像以上に辛く、壮絶な闘病生活になったようです。
メディアでは明るい笑顔をみせてくれる伍代夏子さんですが、実は壮絶な闘病生活を送っていたようです。
しかしその甲斐あって、現在は完治しているようなので本当によかったですね。
ちなみに杉良太郎さんと結婚するにあたり、伍代夏子さんが病気のことを告げると杉良太郎さんは、「人生を歩いて行くパートナーなんだからふたりで病気と闘っていこう。」と言ったとか。
とっても素敵ですよね!
伍代夏子さんはそれを聞き、この人と一緒ならどんなことも乗り越えられると思ったそうです。
辛い闘病生活では、夫である杉良太郎さんの存在が大きな支えになったことでしょう。