KinKi Kidsでデビューし、2020年1月1日に41歳になった今は舞台でも活躍する堂本光一さん。
堂本光一さんの若い頃について画像を中心に紹介します。
目次
堂本光一の若い頃、若い時のかっこいい画像を集めてみた!
1979年1月1日の朝に長野県松本市で生まれた堂本光一さん。
その後千葉県、兵庫県に引っ越しをしていますが、小学校6年生のときに姉が勝手に送った履歴書がジャニー喜多川さんの目にとまり、それがきっかけでジャニーズ事務所に入ります。
光GENJIのコンサートで初舞台を踏み、SMAPのバックダンサーも務めています。
俳優としてのデビューは1992年公開の映画『200X年・翔』です。
若い頃はかわいかったり、イケメンだったりの堂本光一さん。
「けっこう昔は人気あったんだ」と本人が自虐的にコメントしていますが、
若い頃はそんな自虐的なことは言っていませんでした。
キンキキッズ全盛期はこんなにすごかった!デビュー当時の名曲についてもおさらい!
KinKi Kidsは正式にデビューする前から、光GENJIやSMAPのバックダンサーとして活躍していたため、コンビ名がなく、暫定的に「W堂本」「堂本ブラザーズ」「ジャニーズ関西組」「KANZAI BOYA(カンサイボーヤ)」というように呼ばれていたこともあります。
KinKi Kidsのデビュー曲は言わずとしれた大ヒット曲『硝子の少年』。
作詞作曲は、人気ミュージシャンの山下達郎さんが手がけました。
『硝子の少年』は約180万枚の大ヒット曲で、Kinki Kidsでは一番売上枚数の多い曲ですが、その他2枚目の「愛されるより 愛したい」が164万枚、
1998年吉田拓郎さん作曲でリリースした「全部だきしめて」が115万枚、
1999年リリースの「フラワー」が104万枚とミリオンセラーが4曲あり、リリースしたシングルCD全ての40作連続シングル首位という記録をもっています。
堂本光一のすっぴん画像が割とおっさんだった件w
「この前、眉毛にあったなあ」と告白。
というのは40歳になる堂本光一さんが白髪があるという発言です。
元アイドルやジャニーズのタレントさんが白髪があることを隠さず話しているというのが不思議です。
「昔ジャニーさんにね、『お芝居なんて日本語喋れれば誰だってできるんだよ!』って」とジャニー喜多川さんに怒られたことがあるとコメントしています。
そんな堂本光一さんですが、
「人生で相手から『好きです、お付き合いして下さい』って言われたこと無いもん」
とアイドルであるからか、一度も女性から好きです。と言われたことがないと告白しています。
堂本光一、女性のスッピンには興味がなかった?
2人が交互にパーソナリティを務めるラジオ『KinKi Kidsのどんなもんヤ!』という番組で、
番組冒頭、リスナーから届いた「スッピン好きの光一さんに朗報です」というメールを読み上げ、まず「いや、別にスッピン好きではないねんけど」とツッコミ。
と勝手にファンが光一さんに向かって、スッピン好きと決めつけ、そういうことからイメージが作られてしまうということを嘆いています。
その後トークは“写真加工アプリ”へと派生。
光一はこのようなアプリに懐疑的なようで、「スッピン状態でも、メイクしたかのような顔になる写真でしょ?
まったく信用ならんもんな、あの写真な。
我々が普通に出てる雑誌とか、よっぽどあっちの方が変な加工してないと思うよ」
と毒舌キャラを発揮します。
モテないということをキャラにしている堂本光一さんですが、
以前コンサート会場の楽屋に光一の婚約者を名乗る女性が訪ねてきたことがあります。
スタッフもそんな大切な人ならと楽屋に通してしまったそうです。
そこにシャワールームから腰にバスタオルを1枚巻いただけの光一さんが登場し、女性を見て「誰?」ときょとんとした表情を浮かべました。
まったく知らない女性が楽屋にいたら、びっくりしますね。
そして呆れた堂本光一さんが発したコメントが、
「俺がこんなオバちゃんと結婚するわけないだろ!」
だったそうです。
40歳になった堂本光一さん、結婚については、
「まあ、いずれその時は来るんじゃないですか?」と自身の結婚について“ある”という方向で語った光一。
と結婚願望はあるものの、あまり焦っている様子はありそうもありません。
堂本光一さんの若い頃について画像やエピソードを交えて紹介しました。
正直すぎて、毒舌なコメントも多い堂本光一さん。
40歳になりましたが、女性とのスキャンダルもなく、そろそろいろんな噂が出てくるかもしれません。