米米クラブのボーカルとして活躍、現在もミュージシャンとして数々の舞台で歌声を披露している石井達也さん。
彼の若い頃やプライベートに迫ってみました!
目次
石井竜也の若い頃が超イケメンすぎる!かっこいいと話題【画像あり】
今でもクールでワイルド、かっこいい外見が魅力的に石井達也さん。
世代でないにもかかわらず、いまだに若い女性のファンも多いようですね!
そんな石達也さんですが、若いころはどれほどかっこよかったのでしょうか?
画像をご紹介します!
どこからどう見てもイケメンですね!
刺すような眼差しに、多くの女性ファンはノックアウトされています!
ちょっと濃いメイクもよく似合っていますね!
派手な米米CLUBらしい雰囲気です。
若い頃は「米米CLUB」のボーカルとして活躍するも解散後に10億の借金を負う!??
「浪漫飛行」「君がいるだけで」で一斉を風靡した米米CLUBですが、ピークを過ぎたあたりで解散をしています。
その後、ボーカルとして活躍していた石井さんは、なんと借金10億を背負う羽目に…!
もちろん、バンドのせいではありません。
借金の理由は「1994年と1996に制作された映画」の失敗だった?
ミュージシャンとして活躍をしたのち、石井さんは映画製作に携わります。
これが凶と出てしまったのです…。
音楽では充分過ぎるほどの成功を収めた石井さんですが、映画監督と言う分野に手を出したことで転落人生を味わいます。
初作品はタイトル「河童」です。
この映画はスティーブン・スピルバーグ監督のE.T.のパクリだと酷評されました。
パクリとはいかなくても、強いインスピレーションが彼の中で残ってしまっていたのでしょうね。
ターゲット層もよくわからず、結果映画は大コケ。
興行的に大失敗した「河童」でしたが、これに懲りずに第2作目の「ACRI」を製作します。
ですが、こちらも興行的に大失敗で、まるでMVでしかないものだと言う評価ばかりでした。
この2作の失敗で石井さんは10億円以上の負債を背負うことになります。
合わせて10億の借金の完成です!
心がすっかり病んでしまった石井さんは、外出もできなくなり、何度も自殺未遂を繰り返したそう…。
父親の叱咤激励がきっかけとなり、わずか8年で借金を完済!
壮絶な借金地獄を抱えていた石井さんですが、彼の暗闇の中に光を指してくれたのは父親の存在でした。
そんなドン底の石井さんを救ったのは、父親の言葉だったそうです。
「(略)お前は夢を売って夢を作ってきたんじゃないか。
人を恨んだりして良い作品が出来るか?
(中略)金なんて心のないものだろ。
そんな心のないものにお前は命を預けるのか」
この父親の言葉が石井さんの心に突き刺さったようです。
そしてこの言葉で「死ねない」と思った石井さんは必死で音楽の道に邁進したのです。
石井さんのことを良く理解してくれているからこそ、出てくる言葉ですよね。
10億の借金なんて確かに死を意識してしまうかもしれませんが、石井さんはやるだけやってみようと奮起。
その後わずか8年で10億の借金を完済しました!
1年で1億以上ですよ…!
ソロ活動での返済ですので、彼の人気を伺えるエピソードですね!
米米CLUBは再結成され現在でも活動中!
米米CLUBはその後再結成されます。
再結成に際し、石井さんはこんな風に語っていました。
だって、やるなら自分たちが納得のいくものをやるべきだし、今さら人気があろうがなかろうが関係ないしね。
そんなことよりも、「自分たちが面白いと思って腹抱えて笑っちゃうことをやりたい」っていう気持ちに駆られたんですよ。
少し気持ちに余裕も出てきたのでしょうね。
もう一度、好きなことをやろうと思ったのだとか。
ハーフの噂はデマ。嫁・マリーザが外国人で娘がハーフだった!
そうそう、石井達也さんにはハーフの噂がありますが、これは完全なデマです。
石井達也さんは生粋の日本人、ただし、奥様がカナダ人だそうです。
奥様の名前はマリーザさん、米米CLUBのバックダンサーだったそうですよ!
娘さんは当然ハーフです。
真ん中が娘さんですが、めちゃくちゃかわいいですね!
石井竜也の実家の住所(場所)は北茨木市大津町!
破天荒な米米CLUB・ボーカルの石井さんの実家は北茨城市大津町にあるそうです。
大津港の近くだそうで、当時はファンが多く押し寄せていたそう!
実家は和菓子屋「石井屋」を営んでいたが現在は閉店してしまったの?
ファンが押し寄せていた、というくらいですので、もちろん一般宅ではありません。
石井達也さんの実家は、和菓子屋さんだったそう!
そんなイケメン歌手の石井竜也の実家は和菓子屋だそうだ。
石井竜也の実家は茨城県。
実家の和菓子屋「石井屋」は100年以上続く老舗の和菓子屋だ。
100年って…歴史ある和菓子屋さんですね!
名物の「米米酒まん」や「ダブルドリブルまんじゅう」はライブでも販売されていたそう。
しかし現在はお店はありません。
石井竜也の父も和菓子屋を継いでいた。
現在和菓子屋は閉店しているようだ。
現在は閉店しています…おいしいと評判だっただけに、残念ですね。
和菓子屋閉店後は「I.C.Iアートサロンギャラリー・石井屋」を経営するも、こちら閉店か?
閉店後、石井屋は全く別のジャンルに!
閉店後、父親は絵画が趣味なことから「アートサロンギャラリー石井屋」を営んでいたが父親の他界後は営業を終了している。
お父様も芸術肌だったようで、アートサロンを経営していました。
当然、絵描きがいなくなれば作品は作れません。
お父様の死後、お店は閉店。
その後、東日本大震災で実家は全壊してしまったと石井竜也はホームページで明らかにしている。
100年続いてるわけですから、震災には耐えられない構造だったのでしょうね…。
なんとも悲しい最後です。
石井達也さんの記事については以上となります!
最後までありがとうございました。