今回は演歌歌手の石川さゆり(いしかわ さゆり)さんの若い頃が大島優子に似てかわいい噂についてまとめてみました。
目次
石川さゆりの若い頃のかわいい、美人な画像まとめ!ヒット曲もチェック!
石川さゆりさんは、『津軽海峡・冬景色』『天城越え』で知られる日本を代表する演歌歌手として有名です。
そんな石川さゆりさんの若い頃のかわいくて美人な画像をまとめてみました。
ヒット曲もチェックしながら見ていきたいと思います。
こちらが石川さゆりさんの若い頃の画像ですが、『かわいい』『美人』というのを納得してもらえると思います。
ネット上では、若い頃の石川さゆりさんが元AKBの大島優子さんに似ているという声も多かったです。
当初はアイドル歌手としてデビューしており、時代が違えばアイドル歌手のままだったかもしれません。
石川さゆりさんの歌手としての大きな転機になったのが、1977年の『津軽海峡・冬景色』の大ヒットです。
『第19回日本レコード大賞』歌唱賞、『FNS歌謡祭』グランプリなど、数々の音楽賞を受賞し、『第28回NHK紅白歌合戦』に念願の初出場を果たしました。
『津軽海峡・冬景色』は石川さゆりさんを代表する歌となり、青森県には歌碑が建てられています。
『津軽海峡・冬景色』の大ヒット後、快進撃は止まらず、1977年~翌1978年までヒットを連発しました。
『能登半島』『暖流』『沈丁花(じんちょうげ)』と立て続けにヒットしました。
『能登半島』を代表曲の一つに上げるファンも多いようです。
1985年のシングル、『波止場しぐれ』より。
この頃になると、”美人さ”が際立つようになります。
1986年、『津軽海峡・冬景色』と並ぶ石川さゆりさんのもう一つの代表曲である『天城越え』がリリースされました。
天城越えは、第28回日本レコード大賞・金賞受賞曲です。
カラオケブームの最中に、『石川さゆりさんにしか歌えない難易度の高い作品を』ということで制作された楽曲だそうです。
後に2008年シーズンのイチローさんの打席曲にもなりました。
『天城越え』は2018年までに計11回も紅白で歌われていて、『紅白といえば天城越え』というイメージを持っている人も少なくありません。
元AKB48の大島優子さんに似てるとも言われています
比べてみると確かに似ていますね。
というか2人ともかわいすぎですよね!
【結婚歴】石川さゆりには離婚歴があった!結婚相手の元夫・馬場憲治ってどんな人?
石川さゆりさんの結婚歴について調べてみたところ、離婚歴がありました。
結婚相手だった元夫は馬場憲治(ばば けんじ)さんといいますが、一体どんな人でしょうか?
馬場憲治さんは『所さんの目がテン』の放送開始時のレポーターを務めたり、カメラマン・フリーライター・タレント・マネージャーとしてマルチな才能を発揮している方です。
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一般人ではなく、タレントだった事もあるみたいですね。
『所さんの目がテン』より。
左側が馬場憲治さんです。
馬場憲治との結婚までの馴れ初めが気になる!結婚式についても気になる!
馬場憲治さんとの結婚までの馴れ初めは、彼が石川さゆりさんのマネージャーになったのが2人の出会いでした。
石川さゆりさんの最初のマネージャーが馬場憲治さんみたいなので、1972年に出会っていると思われます。
その後、馬場憲治さんはホリプロを退社しフリーライターになっています。
そして、1981年に石川さゆりさんと馬場憲治さんは結婚しました。
当時、結婚式や披露宴をしたのかどうかは不明ですね。
結婚当時の石川さゆりさんは既にスターだったので、結婚式について気になるところですが、当時は『結婚しました』と大手を振って歩ける時代ではなく、『歌手が結婚したら引退するのが当然』だったようです。
人気アイドルだった森昌子さんも山口百恵さんも、結婚と同時に引退するなか、石川さゆりさんだけは、結婚と仕事の両立を選びました。
結婚式をしたのかどうかわかりませんでしたが、結婚しても歌手を続けるために”おおっぴらにしなかった”と思われます。
馬場憲治との間には娘が1人生まれていた!
馬場憲治さんと結婚後、1984年2月に娘が1人生まれています。
名前を佐保里さんといい、2012年に『ホンダ・ハイブリッドカーのCM』で親子共演を果たしています。
お二人は2017年現在も同居しており、お互いの洋服や靴を貸し借りするなど、親子の仲はとても良いそうです。
離婚の際に親権は石川さゆりさんが獲得しているようで、佐保里さんが結婚したという情報もないので、現在も同居していると思われます。
馬場憲治とは1989年に離婚。離婚理由は「嫁姑問題」か
馬場憲治さんとは1989年に離婚しています。
気になる離婚理由ですが、『嫁姑問題』にあったと言われています。
子供出産の翌年から、馬場憲治さんの実家家族と住み始めました。
しかし、家族は馬場憲治さんの両親だけではなく、兄弟4家族13人が同居するというものだったそうです。
義母から“泊まりの仕事はダメ”と言われ、2日連続の地方公演を日帰りしたこともあったそうで、歌手活動を認めてもらうために嫁・妻・母として頑張ったけれども行き詰ってしまったのではないかと言われています。
歌手と結婚生活の両立は今よりずっと大変だった、無理があったということではないでしょうか。
よほど芸能活動に理解がある家でない限り、同居という選択は厳しかったのかもしれません。