今回紹介させていただく人は、個性派俳優として活躍されていました三國連太郎です。
1923年1月20日生まれ、2013年4月14日(90歳で亡くなられました。)
三國連太郎さんの息子さんには、あの有名な俳優の佐藤浩市さんがおられます。
そんな三國連太郎坂間の若い頃の画像などまとめてみました。
目次
三國連太郎の若い頃のかっこいい画像まとめ!
三國連太郎さんの若い頃に画像をまとめています。
イケメンですよね。
映画善魔に出演していた時の三國連太郎さんです。
若い頃が息子の佐藤浩市ともそっくりだと話題に!
若い頃の三國連太郎さんが息子の佐藤浩市さんにそっくりだと話題になっています。
1970年に吉田喜剛監督の『告白的女優論』という映画がありますが、その映画での三國連太郎パパ、まあ見てください。
スポンサーリンクちょうど今の頃の浩市さんと同い年ですけど、そっくりですよ。
三國連太郎さんの若い頃の画像は佐藤浩市さんに似ていますね。
若い頃の三國連太郎を知っている人は最近の佐藤浩市さんを観られると似ているなって思うのかもしれませんね。
三國連太郎は2013年に逝去。死因は急性呼吸窮迫症候群だった
三國連太郎さんは2013年に天国に召されました。
死因は急性呼吸窮迫症候群だったのでしょぅか。
映画、釣りバカ日誌シリーズのスーさん役で知られる日本を代表する俳優、三國連太郎(みくに・れんたろう、本名佐藤政雄=さとう・まさお)さんが14日午前9時18分、急性心不全のため東京・稲城市の病院で死去した。90歳だった。
三國連太郎さんの死因が急性心不全と書かれている事が多かったです。
急性呼吸窮迫症候群とも言われているのですが、何故なのか気になりました。
「急性呼吸窮迫症候群」ってどんな病気なの?
「急性呼吸窮迫症候群」どんな病気なのか気になります。
急性呼吸窮迫症候群(ARDS)とは、重篤(非常に重い)な呼吸不全が現れる病気のひとつです。
重症肺炎や敗血症、急性膵炎、多発外傷などさまざまな原因により発症する呼吸障害です。
非常に重い呼吸障害が生じるため、酸素投与や人工呼吸器の利用、膜型人工肺の利用なども行われます。
命にかかわることも少なくないため、今後新たなる治療方法が開発されることが望まれる病気といえます。
呼吸不全が現れる病気なんですね。
急性呼吸窮迫症候群を明確に診断することができる検査は現在(2018年)のところありません。
2018年の時点でもまだ病気をはっきりと診断する検査はないんですね。
急性呼吸窮迫症候群による呼吸不全は重篤であり、命にかかわることもあります。
そのため、積極的に治療を行うことが大切です。
呼吸不全の症状に対しては酸素投与や非侵襲的陽圧換気、挿管を行ったうえでの人工呼吸管理などが行われます。
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命に係わる事もあるので、しっかりと治療をしなくてはいけないという事ですね。
三國連太郎死去に西田敏行が「私のスーさんが逝きました」と悲痛なコメント
俳優の三國連太郎さんが14日、急性呼吸不全のため90歳で死去したことを受け、映画『釣りバカ日誌』シリーズで22作にわたって名コンビを演じた西田敏行が15日、所属事務所を通じてコメントを寄せた。
西田敏行さんと三國連太郎さんは釣りバカ日誌では名コンビでした。
「私のスーさんが逝きました」と悲痛な思いを隠さず、「いつかこんな日が来ると覚悟はしていたものの、現実にその時が来たと知らされると、にわかには信じられません」と思いを明かす。
私のスーさんが逝きましたのコメントでどれほど西田敏行さんが三國連太郎さんの事を慕っていたのか伝わってきますね。
他にも次のようにもコ西田敏行さんはコメントされていました。
「三國連太郎氏が、日本の映画界に残された功績は、計り知れないものです。関わられた、どの作品も日本の名作です」
「そして私としては、松竹映画プログラムピクチャー【釣りバカ日誌】で22年ご一緒出来た事は私の誇りであります」
「スーさんお世話になりました。そして心からありがとうございました」と故人をしのんだ。
三國連太郎さんの事を尊敬して憧れている俳優さんは沢山いるのだろうと思います。
これからの時代も三國連太郎さんの様な素晴らしい俳優さんが増えてくると良いですね。
三國連太郎や役作りのために歯を10本も抜いていた!まさに「怪優」!
三國連太郎さんが役作りの為に歯を10本も抜いたようです。
“怪優”“奇人”などと称され、アクの強さと徹底した役づくり。
30代で老人を演じたときには、自らの歯を10本も抜いてしまった。
1957年の映画『異母兄弟』。当時33才の三國さんは、老人を演じるために前歯を10本抜いた。
しかも抜歯後に言った一言が「いい顔になったなぁ」だった。
30代の時に老人の役をするからと言って、歯を10本も抜くのって凄いです。
なかなかできる事ではないですね。
三國連太郎さんは次のように語っていました。
「役者業は、趣味と実益を一緒にしてしまった素敵な世界」
「役者に年齢は関係ないし、演じることが僕の生きがい。でも、名優と呼ばれたらおしまい」
「芸を極めたなんて、とんでもない。まだまだこれから少しずつ階段を上って行かなくては」
演じることが僕の生きがいというセリフは三國連太郎さんにぴったりですね。
天国に行かれてからも三國連太郎さんは演技をしているのではないかと感じました。