今回はタレントの稲川淳二(いながわ じゅんじ)さんの若い頃についてみていきましょう。
また、次男の死亡・死去の真相が気になったので調べてみました。
目次
稲川淳二の若い頃の画像
怖い中にも温かみのある語り口で、数々の怪談話を世に知れ渡せた稲川淳二さん。
今の肩書は「怪談家」と「工業デザイナー」といいますから驚きですね。
あまり知られていないかもしれませんが、若い頃はお笑い芸人として活躍していました。
なんと稲川淳二さんが元祖リアクション芸人だったのです。
1976年4月より、ニッポン放送の深夜ラジオ『オールナイトニッポン』にて怖い話を披露し、人気を博します。
稲川淳二さんはすでにこの頃から「リアクション芸」を披露していました。
また、稲川淳二さんの若い頃の画像を見てみると、実はイケメンだということがわかりました。
役所広司さんに似ているという意見もあるそうです。
稲川淳二には息子が2人いた!名前や画像について
稲川淳二さんは1977年に一般女性と結婚しています。
以前は奥さんとCMで共演したほどおしどり夫婦として知られていましたが、1990年のお正月から別居しているそうです。
奥さんは稲川淳二さんの事務所社長を務めていますが、現在はほとんど接触が無く、「給料を振り込むだけの間柄。」 だそうです。
そんな2人の間には、息子さんが2人誕生しています。
長男の名前は稲川貴洋!タレントや俳優として活動中?
長男はタレントや俳優として活動している稲川貴洋さんです。
現在は目立った活動はなく、出演している作品も不明でした。
次男の名前は稲川由輝!難病(クルーゾン病)を患っていた?
稲川淳二さんの次男は稲川由輝さん。一般人ですが、生まれつきの障がいを持っています。
噂で「怪談話を仕事にするから、祟られて次男が障がいを持ってしまった」というのがありますが、時期が逆のように思います。
若いころから怖い話が得意でしたが、本格的な怪談ツアーがスタートしたのは次男が生まれてだいぶ経ってから。
お笑いをやめたのも次男が生まれた後で、怪談との関係があまり強くないのではないでしょうか。
稲川由輝さんが患っていたのは難病(クルーゾン病)という頭蓋骨の形成異常だそうです。
「クルーゾン病(クルーゾン症候群)」ってどんな病気?
クルーゾン病は人によって症状が異なり、稲川由輝さんの場合は頭蓋骨の形が異常をきたし、視覚と聴覚と知能にも障がいがありました。
クルーゾン病は、先天性の頭蓋骨の形態異常で発話ができず、外見的には顔面の歪みや眼球突出などの特徴を持つ。
鼻咽腔発育不全による呼吸障害などを伴い、水頭症を合併することもある。
スポンサーリンク患者によって症状は異なり、稲川氏の次男の場合、視覚、聴覚、知能にも障害があった。
2012年のインタビューでは、「我が子を手にかけようとさえ思った」「手術中に死んでくれたらいいのにと思った」とまで語っています。
次男が5歳のときに女房と別居しちゃってからは、彼とも接する機会はないです。
長男から聞くんだけど、次男は楽に生活してるらしい。
生活実習所には通ってるけど、世間(社会)には出てないから、上司にいじめられたとか、プレッシャーとかもない。
周りの人が優しくて思いやりがあるから、そこにいられるわけですよね。
世間を見ることはないだろうけども、それなりに幸せなら、それでいいんじゃないかな。
長く別居中とはいえ、離婚はしませんよ。子供たちがかわいそうでしょ。
何度も手術が必要な病気で完治は難しいとされていますが、最近では3Dプリンター技術を応用した手法もあるそうです。
次男・稲川由輝は現在死去(死亡)。父・稲川淳二の独占告白が衝撃!
稲川由輝さんは2013年4月に病気の影響で亡くなっています。
稲川淳二さんはかつて、次男について悲痛な胸の内を明かしています。
次男の出生直後に医者が「稲川さん、実はまだ赤ん坊になってない」って言うんですよ。
「なんで?」って聞いたら、泣いてないと。
「泣いたら赤ん坊になるんですね」って念を押したら、そのうち泣いた。
ところが女房が「この子、少しおかしい。黒眼が上にあがっちゃって、白眼ばかりむいてる」って涙ぐんでる。
それであちこち医者に診てもらったんですが、「別に問題はない」って言われたんですよ。
ところが女房は「そんなはずはない。絶対これは問題がある」って言うもんですから、別の病院で診てもらったら、クルーゾン病だった。
そして生後4ヵ月で手術することになり、それまで稲川淳二さんは障害者差別なそしていませんでしたが、「なんで俺に?」と感じるようになりました。
それまで私は、障害者との出会いはなかった。自分の周りに障害者はいないんだから。
やっぱり、どこかで〝自分とは別の世界の人たち〟と思ってたのかもしれないですね。
それまでは障害者を差別なんかしてなかった。自分はいい人だと思っていたから。
みんな、そうじゃない?障害者に同情してたんですよ。
障害者を見たときに、手を握って道路を渡らせてあげようかなって気持ちはあったし、純粋にそう思えた自分がいたんですよ。
稲川淳二さんはひどい自己嫌悪に陥り、このときからお笑いの仕事を辞めたそうです。