近藤真彦の若い頃がイケメン!アイドルとして大人気だった

歌手の近藤真彦さんの若い頃にフォーカスします。

アイドル時代のマッチの人気ぶりにも注目!

 

近藤真彦の若い頃について

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ジャニーズ事務所の大御所・近藤真彦さんにも、もちろん若い頃はあってアイドルとして絶大な人気を博していました。

現在は後輩ジャニーズから「マッチさん」と呼ばれ、尊敬される存在となった近藤真彦さん。

近藤真彦さんの若い頃を振り返ってみましょう。

 

近藤真彦の若い頃の画像

それでは早速、近藤真彦さんの若い頃の画像をご覧ください。

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あどけなさの残る、ちょっとやんちゃな感じのあるマッチさん。

それでもイケメンなのは確かですよね。

お母さんからは「まあちゃんは顔がカッコいいんだから将来ホストになったら?」と言われていたそう。

そう言えばどうして近藤真彦さんは「マッチ」というあだ名なのか?と思い、昔の記憶を手繰り寄せてみました。

確か…、「身体はガリガリで細いのに髪の毛が多いからマッチ棒みたい」ということから「マッチ」と呼ばれるようなったとか…。

確証はありませんが。

 

近藤真彦の若い頃の活躍

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近藤真彦さんは歌手デビューする前、田原俊彦さん、野村義男さんと3人で「たのきんトリオ」として活動していました。

トシちゃん、マッチ、よっちゃんの愛称で親しまれ、その順に歌手デビューしていきました。

近藤真彦さんは男らしく力強く歌うので、真似されることも多かった様子。

また、レーサーとしての活動も始めました。

アイドルとレーサーとは何とも異色の組み合わせですが、近藤真彦さんは何でも挑戦するいつまでも少年のような方だった印象です。

 

「3年B組金八先生」の生徒「星野清」役で大人気

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今では大人気シリーズになった「3年B組金八先生」の第1シリーズに出演した近藤真彦さん。

役柄は不良少年の「星野清」役。

長ラン、ボンタン姿で登校し周りも真似し始めます。

そこで金八先生も星野清と同じ格好をして、横一列になり街を闊歩します。

実は近藤さん。

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当時は不良がカッコいいと思っていたそう。

金八先生のオーディションでも長ラン、ボンタン姿で挑みます。

その個性や硬派なところが受けて、オーディションに合格し、見事等身大の自分を演じることが出来たのです。

 

デビュー曲「スニーカーぶる~す」が大ヒット

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1980年12月12日。

待望の近藤真彦さんのデビュー曲「スニーカーぶる~す」が発売されました。

このデビュー曲は週間チャートで初登場No.1に輝きました。

これは前代未聞の快挙として当時話題に。

「スニーカーぶる~す」を作詞作曲した有名な作詞家・松本隆さん、作曲家・筒美京平さんにとっても、本格的に手掛けた初の80年代のアイドルとなりましたし、このお二人はジャニーズ事務所にとって大事な存在となったのです。

 

「愚か者」でレコード大賞受賞

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1987年12月31日に放送された第29回「日本レコード大賞」で、近藤真彦さんはレコード大賞を受賞しました。

曲は「愚か者」。

ジャニーズ事務所所属のアイドル歌手が受賞するのは史上初となりました。

ですが、このレコード大賞には壮絶な裏側があったのです。

この当時、近藤真彦さんと付き合っていたとされる中森明菜さんが、レコード大賞を近藤さんに譲ったという説もありますが、それよりこの時、近藤真彦さんは脅迫されていたのです。

実は近藤真彦さんこの年の1年前にお母様が亡くなり、その遺骨が何者かに盗まれるという事件があったのです。

そして「レコード大賞を辞退しろ、辞退しないとどうなるか横浜の墓の下をよく見ろ」という脅迫電話がありました。

「レコード大賞を辞退せねば、母親の遺骨は処分する。辞退すれば遺骨は返す」という脅迫状も。

この時の近藤さんの葛藤はいかほどだったから計り知れませんが、近藤さんはレコード大賞を選んだのです。

 

母親の遺骨が盗難にあう

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1986年11月。

近藤真彦さんのお母様・美恵子さんが交通事故で亡くなりました。

享年43歳という若さでした。

その1年後に美恵子さんが眠るお墓が荒らされて、遺骨が盗まれるという事件が起こったのです。

そしてレコード大賞の脅迫状に続きます。

そのことが公になったのは年明け2日。

近藤真彦さんは「母のお骨は盗めても僕の心から母を盗むことはできない」とコメントし、気丈な態度を見せました。

ですが、今になっても遺骨は返ってきていません。

事件としては時効となってしまったのですが、近藤さんは恐らく一生諦めないと思います。

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