酒井法子の若い頃の画像が可愛い!生い立ちが壮絶すぎる!

今回は女優・酒井法子(さかい のりこ)さんの若い頃についてみていきましょう。

酒井法子さんの若い頃が可愛いという情報や、生い立ちが壮絶すぎるという件も調べてみました。

 

酒井法子の若い頃の画像

14歳の時に芸能界入りすると、一躍トップアイドルとなった酒井法子さん。

若い頃の画像を見てみると、とっても可愛らしいですよね!

一時アイドルとしての人気が低迷してからも。中国圏で爆発的にブレイクし、「ひとつ屋根の下」「星の金貨」などのドラマも大ヒットします。

その後は歌手・女優として活躍を続けていましたね。

 

酒井法子のデビュー当時

酒井法子さんは福岡県市立大名小学校、福岡市立舞鶴中学校出身で、14歳から芸能界のオーディションを受けます。

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そして「’86ミスヘアコロンイメージガールコンテスト」でBOMB!賞を受賞します。

酒井法子さんの腕試しをしたいと、サンミュージック専務が考案してできた賞のようです。

その後福岡市から上京し、グラビア雑誌「Momoco」に登場します。

翌年の1986年4月には、「Momoco」が開催したイベント、「’86モモコ・パーティー」におけるオーディション、「第2回 ミスモモコクラブ」で「ミスVHD賞」を受賞され、同年11月、オリジナルビデオ(VHD)「YUPPIE」を発売されています。(これが本格的なデビューのようです)

また、酒井さんは、同時期に放送が開始したテレビ番組、「モモコクラブ」にもレギュラー出演し、 番組の中心メンバーとして人気を博されています。

引用:こいももうさぎのブログ

ここから一気にトップアイドルの階段をかけのぼっていくのでした。

 

酒井法子のアイドル時代初期

1987年2月、ファーストトシングル「男のコになりたい」で歌手デビューし、オリコン最高6位を記録するヒットとなりました。

「第18回 日本歌謡大賞」で最優秀放送音楽新人賞を受賞し、「渚のファンタシィ」「ノ・レ・な・いTeen-age」「夢冒険」とヒット曲を連発します。

また酒井法子さんはアイドル活動のかたわら、イラストレーターや漫画家としても活動していました。

中学の時に考案したキャラの「のりピーちゃん」が、「日本自動車工業会」のポスターに起用され、キャラクターグッズを自身のショップ「NORI-P HOUSE」で販売していました。

当時流行ったタレントショップブームの先駆けともいえますね。

 

酒井法子のアイドル時代全盛期

1980年代後半にはトップアイドルとして絶大な人気を誇った酒井法子さん。

しかし、1990年頃になると次第に人気が低迷してしまいます。

そこで、酒井法子さんは当時あまり前例がなかった中国や台湾で活動をスタートすると、中国語圏各地にて日本以上の人気を得ます。

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順風満帆な芸能生活でしたが、酒井法子さんは覚醒剤所持で逮捕されてしまいます。

 

酒井法子の生い立ちが壮絶!

酒井法子さんが誕生した当時、父親は覚醒剤所持で逮捕されて服役中でした。

彼女の壮絶な生い立ちは、ここから始まるのです。

酒井法子の父親の服役中に酒井法子の母親は寂しさからか若い男と駆け落ちしてしまい、実の母親との生き別れとなりました。

酒井法子の母は、まだ乳児だった酒井法子を夫の実家のある佐賀県の山中にある寺に置いていきます。

つまり、酒井法子は捨て子になってしまったのです。

寺に捨てられた酒井法子はその後、父親の妹に引き取られます。

その後叔母の住む家で育てられることになり、一時は埼玉と九州を行ったり来たりすることもあったようです。

引用:pinky-media

育ての親を転々するという経験は、幼い酒井法子さんの心を大きく傷つけたのはでないでしょうか。

その後両親は離婚が成立しますが、なんと母親は自殺にみせかけて殺害されてしまいます。

酒井法子はそんな生い立ちの中、育ての親を実の母と思っていたそうです。

しかし7歳の時に父親が再婚すると「自分のこどもではない」と告げられ、父親と再婚相手が暮らす福岡県に移ることになります。

酒井法子がその半生を振り返った自叙伝『贖罪』(朝日新聞出版)によれば、7歳までは伯母のことを本当の親だと思っており、ある日突然「おまえはウチの子じゃないんだよ。本当の父親が引き取りたいと言っているけど、法子はどうしたい?」と告白された壮絶な過去を振り返っている。

酒井法子の父親はその後また離婚し、別の女性と再婚したのですが、酒井法子は新しい継母と暮らすことになりました。

しかし酒井法子は父親にも義母にもなかなか心から甘えることができなかったそうです。

引用:pinky-media

父親は身近におらず、慕っていた人にはは「自分の子供じゃない」と告げられる・・・耐え難い経験ですね。

実は酒井法子の父親・酒井三根城(金三根城)は暴力団関係者です。

山口組系、伊豆組酒井組の組長でしたが、覚醒剤の販売が主な稼業という極悪な荒稼ぎだった為に破門され、山梨県で闇金融を営むことになったそうです。

酒井法子の父親はどこまでも非道な人だったんですね。

ちなみに酒井法子の父親の葬儀の際、葬儀委員長を務めてくれたのがサンミュージックの相澤秀禎氏です。

不幸な生い立ちの酒井法子ですが、苦労した分救ってくれる存在がいたのも事実です。

酒井法子が共に暮らした父親は平成元年5月に山梨県の高速道路で事故死します。肉親が亡くなり、酒井法子は身寄りがなくなってしまいました。

引用:pinky-media

ここまで壮絶な生い立ちだとは・・・知らなかった人も多いのではないでしょうか。

今はしっかりと罪をつぐない、徐々に芸能活動を再開しているようですね。

今後もがんばってほしいです!

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