内田春菊の若い頃の画像が美人!生い立ちが壮絶!家出と32年間の母子断絶まで

今回は漫画家で小説家・内田春菊(うちだ しゅんぎく)さんの若い頃についてみていきましょう。

内田春菊さんの若い頃が美人という情報や、生い立ちが壮絶な件、家出と32年間の母子断絶までについても調べてみました。

 

内田春菊の若い頃が美人

内田春菊さんといえば、漫画家や小説家として活躍していますよね。

最近だと『ファザーファッカー』というセンセーショナルな自伝を発表し話題になりました。

内田春菊さんは小説家としてデビュー前、若い頃にホステスでの勤務経験があります。

その美しさで数々の男性をとりこにしてきたのでした。

その当時お写真をみると、話題になるのも納得の美貌ですよね!

学生時代から周囲から目を引くほど綺麗な容姿をしていたので、男性にとてもモテたそうです。

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だからといってはなんですが、3度の結婚経験があります。

トータルで妊娠歴は11回、流産が1回、出産4回、中絶5回とものすごい経験をしているようです。

子供は4人いるとのことで、未婚中に長男、不倫相手との間に長女、3回目の結婚時に次女と次男が誕生しています。

 

内田春菊の若い頃の活躍

内田春菊さんは心理学を学ぶために慶應義塾大学通信教育課程に入学しますが、すぐに退学しています。

その後は印刷会社の写植やバーのホステス、喫茶店のウェイトレスなどで働き、プロデューサーの秋山道男さんに出会い文才を見出されます。

その後、双葉社発行の「小説推理」に掲載された「シーラカンスぷれいん」にて、漫画家としてデビューします。

性的な描写をストレートに描き、岡崎京子さん、桜沢エリカさんらと共に人気漫画家になりました。

漫画家、小説家さらには女優としても活躍し、80年代に大活躍しています。

 

内田春菊の生い立ちが壮絶

内田春菊さんは前述したように自伝的長編小説『ファザーファッカー』を刊行します。

1993年に発表されたこの小説は、幼少期から思春期の家族や、母親によって16歳で義父(育ての父親)に売られた話がかかれています。

実体験にもとづいているということで、かなり赤裸々な内容になっています。

そんな衝撃的な過去を発表した内田春菊さんの半生を振替って生きたいとおもいます。

 

両親の離婚と子供時代

内田春菊さんは長崎県長崎市に誕生し、この時すでに実の父親は家庭内暴力を振り、生活費もいれないひどい男でした。

父親はいくら頼んでもお金をいれないので、ホステスをやっていた母親はとうとう愛想をつかしてしまいます。

そして家にお金を入れてくれる男性として、義理の父になる男を家族として迎えいれました。

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しかしこの男性も普通の性格ではなく、かなり気性の激しい男性だったようです。

小学校時代から漫画を描き始めた内田春菊さんに対し、子供のくせにマセているといって漫画を描くことを禁止します

しかし内田春菊さんはあきらめず、手のひらにすっぽり収まるほどの小さな漫画を作りはじめました。

家に居場所が無かったため、彼氏を頼るうちに男女の仲になります。

なんと内田春菊さんはその彼の子を妊娠してしまい、中絶せざるを得なくなります

これを期に義父からの性的虐待はどんどん加速することになってしまいます。

我慢の限界が来た内田春菊さんは、高校在学中に自分が描いた漫画と授業料だけを持って家出します。

そのため、通っていた長崎県立長崎南高等学校1年の途中で学校側から強制退学させられてしまいます。

 

母は何故義理父に娘を売った?

内田春菊さんの母親は、実の父親と離婚後に生活のために新しい男性を選んびましたが、結局は内田春菊さんをストレスの捌け口にして暴力をふるっていました。

なぜこんな暴力的な男性に母親は娘をたくしたのでしょうか。

なんと、母親は義父の性的虐待については認識していました。

しかし義父のことも愛しており、娘の身の安全よりも男性との関係を重視していました。

内田春菊さんが中学生のときに妊娠・中絶した際は、義父が性行為することで「つついたら、子供が下りるかもしれない」と無理やり内田春菊さんを襲ったというのです。

それ以降義父の性的暴行はエスカレートしていきましたが、内田春菊さんの母親は見てみぬフリをしていました。

まだ幼い内田春菊さんの心も身体もぼろぼろにした母親と義父を許すことはできないでしょう。

 

内田春菊の家出と32年間の母子断絶まで

内田春菊さんは当時まだ幼かったので、義父もいつかは変わってくれるはずと信じていました。

しかし、それも望みがないことが分かり家を飛び出します。

当時3000円の現金と着の身着のままで家を出て、各地を転々しながら、漫画家で生計を立てる事に成功します。

内田春菊さんは母親や妹への想いは途絶えず、母と妹を呼んで一緒に暮らそうと東京に呼びました。

しかし母親と妹は内田春菊さんをあてにしてばっかりで、まったく働かなかったのです。

そして内田春菊さんはしばらくして「母は私を頼ってるんじゃない、お金があるから近づいてきた」と気づきます。

洗濯を頼んだ際に乾燥機を買うお金をせびったり、貯金額の残高を聞いてきたりと怪しいふしは多々ありました。

ようやく母親の本性に気が付いた内田春菊さんは、27歳のときに母と妹と絶縁します

その後、35年間も母親と妹とは縁を切ったままです

結局母親は、自分のことだけが大事で可愛かったのではないでしょうか?

ここまでのエピソードをきくと、絶縁は遅すぎたくらいですよね。

絶縁をいったときに妹は内田春菊さんに対し、『私の結婚費用は出してくれるんでしょうね!』と言い放ったとか。

家族同士でここまで確執が生まれてしまうなんて、悲しすぎますね・・・

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