山口智子の若い頃やモデル時代の画像をチェック!実家は旅館だった?生い立ちが壮絶!

50代になっても美人な山口智子さん。

女優さんとして活躍していた若い頃、そしてモデル時代の山口智子さん。

生い立ちや実家についても紹介します。

 

山口智子の若い頃がかわいい!モデル時代の画像も調べてみた!

1964年10月20日生まれの山口智子さん。

現在55歳になりますが、1990年代「連ドラクイーン」とか「高視聴率の女王」と呼ばれていた20代のころの山口智子さんと今の山口智子さんを比べてみました。

山口智子さんは数々のドラマに出演していますが、やっぱり一番は木村拓哉さんと共演した「ロングバケーション(ロンバケ)」ではないでしょうか。

最終回の木村拓哉さんと山口智子さんのキスシーンはアドリブだったとも伝えられています。

そして22年ぶりに木村拓哉さんと山口智子さんが共演した「BG~身辺警護人~」での山口智子さん。

22年経った今でもお二人とも全く変わらないような感じがします。

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すっかり22年前に戻されてしまいました。

山口智子さんは栃木県立栃木女子高等学校から青山学院女子短期大学家政学科卒業し、170cmの身長を活かして、はじめはモデルさんとしてデビューします。

1986年「東レ水着キャンペーンガール」として芸能界デビューし、翌年の1987年には、「アサヒビール」のキャンペーンガールにも抜擢。

ドラマでのデビューは1988年のNHK朝ドラ「純ちゃんの応援歌」で主役の小野純子役です。

22歳で東レの水着キャンペーンガールでモデルデビューし、24歳でテレビドラマの主役を務め、一気にドラマの視聴率女王へと登りつめますが、いまでも美しさをキープしています。

 

現在でも若々しいと話題!若さの秘訣は円満な夫婦関係にあり?

現在54歳になっても若々しいと話題の山口智子さん。

1995年に俳優の唐沢寿明さんと結婚します。

二人の出会いはNHK朝ドラ「純ちゃんの応援歌」で共演したことがきっかけになっています。

お二人はおしどり夫婦として有名ですが。

山口智子さんはあるインタビューで、

「自分が世界で1番幸せだと思う瞬間は、唐沢寿明さんとご飯を食べている時」

とも答えています。

さらに、山口智子さんは

「夫婦円満の秘訣は何か?」と聞くと山口は「手をつないで寝る」と即答。

「一緒にいる時間が少ないので、会うときは抱っこ、抱っこ~ってなる」

とも答えているくらいラブラブのようです。

ただお二人の間にお子さんはいません。

それについて山口智子さんは、

私は、ずっと「親」というものに、なりたくないと思って育ちました。

私は、「子供のいる人生」とは、違う人生を歩みたいなと。

だからこそ、血の繋がりはなくとも、伴侶という人生のパートナーを強く求めていました。

と子どもがいない夫婦だけの生活を選択したことを公表しています。

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山口智子の実家はホテルではなく老舗旅館「鯉保」だった!現在は廃業

山口智子さんの実家は栃木県で創業120年を超える、「ホテル鯉保」です。

山口智子さんがモデルとしてデビューした理由にも

実家の旅館を継ぎたくなかった。

と公表しています。

鯉保の先祖は江戸期に日本橋で「鯉屋」という魚商であった。

主人の鯉屋藤左衛門は俳号を杉風(さんぷう)と称して、松尾芭蕉の高弟でもあった。

という老舗の旅館だったそうですが、最後は経営不振と跡継ぎの問題で2005年に廃業してしまいました。

 

山口智子の生い立ちが複雑すぎた!父親の女性問題で母・妹と絶縁

小学1年生のときに両親が離婚している山口。

このとき、山口は父に引き取られ、3才年下の妹は母に引き取られた。

そして、旅館を切り盛りする祖母のもとで育った山口は、20才の時に祖母の養子となった。

山口智子さんは両親が離婚したことによって、長い間お母さんとそして唯一の姉妹である妹さんとも会うこともない生活をしていたそうです。

自身が唐沢寿明さんとあんなに仲がいいのに、子どもを作らないのはこの子どもの頃の体験が影響しているのかもしれません。

 

父の葬式を機に母・妹と和解!

山口智子さんは2005年に父親を亡くします。

転機が訪れたのは2005年5月。

突然、父が他界してしまったのだ。

山口の祖母がこう振り返る。

「せがれが亡くなって、(山口の母から)“娘(山口の妹)にお線香をあげさせてください”と電話がかかってきたんです。

私はそれで“どうぞ来てください”と言って。

それで妹がお線香をあげに来たんですよ。山口にとって、実にそれが妹との34年ぶりの再会だった。

そしてそれをきっかけに、17年前に無言で行き交わした母とも和解し、交流が始まったという。

祖母の家に預けられ、養子となっていた山口智子さんは34年ぶりに実のお母さんと妹さんと再会します。

2007年に、妹と都内にセレクトショップ『燕子花』をオープンさせた山口は、翌2008年には個人会社の代表取締役に母を就任させた。

そして、母と妹が暮らすには少し狭かったマンションの引っ越しを手伝い、都内に3LDK、家賃20万円の部屋を借りてあげた。

この再会をきっかけに絶縁状態は解消されたそうです。

目黒川沿いにあったセレクトショップ「燕子花」は2010年に閉店しているようです。

山口智子さんの若い頃やモデル時代、そして実家の旅館や生い立ちについて紹介しました。

ご本人も「人生はどれだけ自分でエキサイトできてるか」と語るようにモデルから女優に、そして料理やフラメンコとお仕事、趣味も多彩です。

これからもまだまだ若くてきれいな山口智子さんでいることでしょう。

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